読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アイディアの宴

名もなき高校生がtwitter改として始めたブログ。

物を輪の中に送り出す

何かが違うという違和感

今日、初めて本を寄付いたしました。

初めは私のためになると思い買ったのですけれど読み進めていくうちに、なにか違うような変な錯覚に陥ってしまいました。

 

おかしい、手に取った時はこんな感覚じゃなかったはずなのですけれど...(−_−;)

 

私はどうも気分屋なところがありまして、長い人生の一瞬、こんなこともあるのだろなぁと心の中でつぶやいておりました。

 

別の本に救われる

実は、上に書いた本以外にもう二冊ほど本を買っておりまして、そのうちの一冊から寄付という考えとそれを実行する勇気をいただきました。

 

その本はビジネス書でして、世のためになるプロダクトを作ろうよ。

であったり

金、名誉を念頭に置いちゃいけないよ。と言うようなことがメッセージとして綴られておりました。

 

ことにその本の意見として寄付は大事だよ、などとと説かれいるわけではなかったのですけれども、すずろに、さっきの本を読まないのならば寄付するというのはどうだろう。といった考えがふと浮かんできたのでありました。

何が引き金になったのかは、自分でも把握しかねるところであります。あぁ不思議

 

私が言うのもおこがましいことですが、みなが使える公共の場にものを寄付するというのは、なにかとてつもなく素晴らしいような気がしました。

 

なぜなら、私がその本を持っていたところでそれに価値を見出すことはできませんが、一方で寄付に出し、その本を必要とする方が読んでくださればそこに価値が見出されるわけでございます。

しかも、その価値の付与は一回では終わらず二度、三度と巡っていき、システムとして半永久的に失われない。

まさに、ただの紙冊子からキラキラと輝きを放つロゼッタストーンへと生まれ変わったかのようでございます。

 

そう思えた時、目の前の本がとても尊いもののように思われました。

人とものを共有する。なんて素晴らしいんでしょう!

まとめ

さて、今回は本を寄付するという行為を通して私が学んだことを書かせていただきました。私も拙い人間の一人、共有できる知識は少ないかもしれませんが少しでもみなさんと接点を持てたのであれば、それは本望の致すところであります。

ここまでお付き合いありがとうございました。

くれぐれも、お体にはお気をつけてd( ̄  ̄)